鎌田實・山本高史『ここから。これからを生き抜くための、心と言葉。』

ここから。

ここから。

2011/09/27読了 2011/09/28メモ

p.23
これからの資本主義は、逆に温かい価値観をもっていても、じゃまじゃない。
そういう時代がくる。「成長」から「成熟」です。
(おでんのはなし)

p.43
「がんばらなくていいからね」「まだ立ち直らなくていいからね」「泣き止むまで泣いてていいからね」

p.58
こちらからコミュニケーションを図るには、相手がもっているはずの知性を最低限信頼する必要がある。(中略)コミュニケーションを一から十までびっしり組み立てられると、受け手の想像力の働く隙間がないだけでなく、きっと窮屈に感じてしまうんじゃないかな。

p.71
生きるために、温かい。

p.78
今の人は失敗を恐れている。自分に力がないことをさらけ出したくないという思いが強すぎて、がんじがらめになってしまっているような気がする。
こういう時代なんだから、「三割ぐらいうまくいけば、御の字」という気持ちでいればいい。

p.100
絆という言葉をぼく(山本)なりに解釈すると、ちょっと冷たい言い方になるんですが、「共有感」なんだと思うんです。つまり、相手の中に自分と同じ気持ちが存在しているということをお互い確認しながら、共有していることを実感しているというような感じ。

p.106
縦の絆、つまり「命の繋がり」。縦の絆を通して、過去や未来が見える。(中略)これまで縦の繋がりの認識が薄まっていたと思うんですよ。でも、今回の震災を通して、縦の絆の存在に気がついた。

p.115
戦後の西洋民主主義は一人ひとりが自立して立っていくことの重要さを説いたけど、そこに効率のいい機械とニューメディアが入ってきたおかげで、「自立」が「孤独」に変化してしまったんです。

p.121-122
コミュニケーションの基本的な作業というのは、「受け手のいってほしいことをいってあげよう」ということ。まず「いい気持ちにさせる」、その気持ちで「自分の気持ちを受け入れてもらおう」という順番でコミュニケーションを考えている。
(ex.羽毛布団のセールス。「おばあちゃん、これまでずっとがんばってこられましたよね。ご主人を支えて、お子さんを育てて、さぞかし大変だったでしょう。だから眠るときくらいはラクしてください。この軽い羽毛布団で気持ちよく眠ってください。おばあちゃんはその値打ちがある人です」)

p.132
絆は「見つけるもの」「そこにあることに気づくもの」。だから、今回のような非常事態が起こると、単にそれがあぶり出されて、目につきやすくなっただけなのかもしれない。
(中略)日本人など見ることもない外国の辺鄙な場所で日本人に会ったら、不思議と「絆」のようなものを感じると思うんですよ。だから、そういう非日常的な瞬間にあぶり出されるようなものなのかもしれない。

p.135
「絆」という言葉を使わないで、絆を表すとしたら、「一緒に生きる。」もしくは「相手を思いやる」

p.167
人間は面倒くさい生きものなのだ、と仮定します。誰かを想像するのも面倒くさい。誰かと摺り合わせするのも面倒くさい。誰かに自分をさらけ出すのも面倒くさい。だから、他人のことはわからないでいいんじゃないの?私のことは私のことでいいんじゃないの?自分の名前に会社名つけときゃいいんじゃないの?だってそれでだいたいわかってもらえるでしょ、って。でもそれであんたの何がわかるんだよ?